まったくのビギナーレベルから56歳の遅いスタートとなった英会話の習得。
1年間フィリピン人からオンラインレッスンで指導を受け続けて、1年後、最初の語学学校留学を果たしました。フィリピンの首都、マニラで約1ケ月。毎日8時間のマンツーマンレッスンをこなしてきました。ある年の12月でした。
なぜか、それでは物足らず、年が明けて数ケ月後、ふたたびフィリピンで生活する私がいました。
今回はマニラでなく、フィリピン第二の都市セブ。
別の語学学校で再び1ケ月の予定で学習する予定でした。
きっかけは一年間オンライン英会話を受けているとき、親しい講師の一人がこのスクールで昼間働いていたこと。彼女は夜に帰宅後、オンライン英会話の講師も副業としてやっていたからです。
ここでは前回のスクール以上に自分を追い込むように毎日レッスン時間を9時間くらい設定していました。
ただスクール初日から面白いことが起こった。
このスクールの生徒は9割が韓国人、1割が日本人でした。
2.3月は韓国の大学が長期休みに入るので、大学グループごと、韓国人学生がフィリピンの語学学校へ押し寄せてきたのです。日本にこのブームが起こるのはそれから数年先のことです。
初日、TOEICの模擬試験を受けていた私たち、ほぼ終わりかけの時刻になんとセブ近辺を震源地とする大きな地震が発生。死傷者も出ました。
それがなんと、それからの一週間のうちに3度も発生。
日本人ならこれくらいの地震には慣れていますけど、地震のない韓国やめったに揺れないフィリピンにとってこれはパニックを引き起こすには十分。
一週間後、このスクールに残っていた韓国人学生はほとんどいませんでした。
ほぼ9割超えた韓国人が予定を早めて帰国してしまった。
そのために残っていたわずかな数の韓国人と私たち日本人だけが残りの3週間、ほぼグループレッスンさえ、数名の参加者という状況の中で英会話のレッスンを受けることになったのです。
これは不幸中の幸いと言えます。
なぜなら、グループレッスンの講師の中にアメリカ人とイギリス人がいて、普通は15人くらい生徒がいるのが、わずか3.4名の生徒しか参加していないのです。
結果として、生の英語を好きなだけ聞ける機会を与えられただけでなく、直接私たち日本人も彼らとたくさん話せる機会も持てたわけです。
地震さま様でした。
こうして楽しいけどきびしいセブの一か月を過ごして、私は日本に帰国しました。今も記憶に残る思い出のひとつです。
ライター nobu shige 男 60歳