ジェームズ・ジョイス『ダブリン市民』、The sisters(姉妹)の2回目です。
主人公の少年が老神父からローマカトリック教についての深い教えを受けていたことが語られます。
ジェームズ・フリン神父 享年65歳 ここに眠る
The next morning after breakfast I went down to look at the little house in Great Britain Street. 翌朝、朝食の後に、グレートブリテン通りのその小さな家にいってみた。
– Great Britain Street:ダブリン市の中でも、経済的に恵まれていない人たちの暮らす地域であったようで、老神父はそういうところに住んでいたのだということを意味しています。
It was an unassuming shop, registered under the vague name of Drapery. そこは『服地』という曖昧な名前の地味な店だった。
– unassuming:控えめな、謙遜な、気取らない、でしゃばらない、腰が低い
– vague:曖昧な、あやふやな、ぼんやりした、漠然とした、不確かな
– drapery:服地、織物、カーテン生地、反物
The drapery consisted mainly of children’s bootees and umbrellas; and on ordinary days a notice used to hang in the window, saying: Umbrellas Re-covered. その店は主に子どもの靴や傘を商っていた。普段は「傘の張替え」という告知が窓にかかっているのだった。 No notice was visible now for the shutters were up. 今は雨戸が締まり見えていない。 A crape bouquet was tied to the door-knocker with ribbon. ドアノッカーに喪章の花束がリボンで結ばれていた。 Two poor women and a telegram boy were reading the card pinned on the crape. みずぼらしい二人の女性と電報配達の少年が喪章に止められているカードを読んでいた。 I also approached and read: 僕も近づいて読んだ。 July 1st, 1895 The Rev. James Flynn (formerly of S. Catherine’s Church, Meath Street), aged sixty-five years. R. I. P. 1895年7月1日 ジェームズ・フリン神父 享年65歳 ここに眠る (神父はミース通りのセント・キャセリン教会の神父でした)
– R.I.P: ラテン語 Requiescai in pace. 英語では rest in peace
– Meath Street:先ほどのグレートブリテン通りと同じような地域
The reading of the card persuaded me that he was dead and I was disturbed to find myself at check. 僕はカードを読んで彼が死んだことを納得し、中に入って行けない自分にいらだった。
– persuade:ここではthat以下のことを確信させたという意味です。
– disturbed:動揺した、いらだった。
– at check:阻止されている
Had he not been dead I would have gone into the little dark room behind the shop to find him sitting in his arm-chair by the fire, nearly smothered in his great-coat. 生きているなら、店の裏にある小さな暗い部屋へ行き、大きな外套を首を絞められているかのようにまとって、暖炉のそばの肘掛け椅子に座っている彼を見つけただろう。
– Had he not been dead:仮定法過去完了のifを省略した形です。省略せずに書きますと、If he had not been deadとなります。
もうお分かりだと思いますが、主人公の少年の独白はすべて過去形です。現在起きていることを述べているのではなく、過去の記憶を語っているのがこの小説のポイントなのです。
いつの時点からこのときのことを振り返っているのかは示されていません。
ここで仮定法過去完了が使われるのも、過去において、実はこうしたかったんだけれども、それはかなわなかったのだという意味をこめた書き方となっています。
Perhaps my aunt would have given me a packet of High Toast for him and this present would have roused him from his stupefied doze. たぶん、叔母がハイトーストを一箱持たせてくれて、それが半ば意識を失っているような彼を目覚めさせたものだった。
– High Toast:当時のアイルランドの嗅ぎたばこのブランドです。「深煎り」っていう感じでしょうか。
– stupefied doze:麻痺しているかのような居眠り
It was always I who emptied the packet into his black snuff-box for his hands trembled too much to allow him to do this without spilling half the snuff about the floor. いつも僕が黒い嗅ぎ煙草入れに箱の中身を入れてあげていた。彼にやらせると手が震えて半分は床にこぼしてしまうから。
– このセンテンス:少し複雑な構造です。主語Itは仮の主語で、to allow以下を指しています。ですから直訳しますと、to allow以下から訳しまして、「嗅ぎたばこを半分も床に撒き散らすことなくそうすることを彼に許すのは、いつも彼の震えすぎる手のために黒い嗅ぎ煙草入れに箱の中身を入れてあげた僕だった。」となります。
Even as he raised his large trembling hand to his nose little clouds of smoke dribbled through his fingers over the front of his coat. 彼が大きな震える手を鼻まで持ってくるときでさえ、指の隙間からたばこの粉が煙となって外套の上に零れ落ちたものだ。
– このセンテンス:従属節を先においてありますが、カンマで区切っていないので、少し分かりづらくなっています。カンマがnoseとlittleの間にあるとして訳します。
It may have been these constant showers of snuff which gave his ancient priestly garments their green faded look for the red handkerchief, blackened, as it always was, with the snuff-stains of a week, with which he tried to brush away the fallen grains, was quite inefficacious. 彼の旧式の聖職者の衣服に緑色のあせたような外観を与えたのはこのように絶え間なく降り注いだ嗅ぎたばこの粉であったのかもしれない。なぜならばいつもいつも一週間分のたばこのしみのついたすっかり黒くなっている赤いハンカチで舞い落ちた粉を掃き落とそうとしてもほとんど効果はなかったから。
– このセンテンス :難しいです。まずforはここでも接続詞なので、その前と後ろで区切ることができます。 前半の文を考えてみます。主語はIt、動詞はmay have been、these以下が補語です。そしてwhich以下は関係節として、these constant showers of snuffを修飾しています。Itはこういう場合は仮の主語として、文中のthat節やto不定詞以下が主語になるのが普通かもしれませんが、このセンテンス中にはそれがありません。ですから思い切って、前のセンテンスの little clouds of smokeを指していると考えることができると思います。
もうひとつの考え方は、Itはwhich以下を受けているという解釈です。どちらをとっても意味することは変わらないので、どちらともとれるような訳としてみました。後半のfor以下の等位節は主語がthe red handkerchiefで、動詞と補語がwas quite inefficaciousです。blackenedからgrainsまではthe red handkerchiefの修飾語です。
接続詞forのところで、look for(探す)という成句かと考えてしまうと、分からなくなります。
このlookは名詞で、give +間接目的語(his ancient priestly garments )+直接目的語( their green faded look)となっており、「それらの緑色にくすんだ外観」という意味です。
I wished to go in and look at him but I had not the courage to knock. 僕は中に入って彼を見たかったがドアをノックする勇気はなかった。 I walked away slowly along the sunny side of the street, reading all the theatrical advertisements in the shop-windows as I went. ゆっくりと通りの日向側を歩きそこから遠ざかった。道すがらの店みせのわざとらしい宣伝文句を全部読みながら。
The Irish college in Rome
I found it strange that neither I nor the day seemed in a mourning mood and I felt even annoyed at discovering in myself a sensation of freedom as if I had been freed from something by his death. 奇妙に思えたのは、僕もその日というものも喪に服しているようなところはなかったということだ。まるで彼の死によって何かから自由になったかのように解放感に浸っている自分を発見し苛立ちすら感じてしまった。
– annoyed:形容詞です。いらいらした感じ。feel annoyed at (with) ~は、~にいらだった、となります。
– a sensation of freedom:解放感
I wondered at this for, as my uncle had said the night before, he had taught me a great deal. 叔父が前夜語ったように彼は僕に多くのことを教えたのであるから、この感じは不思議なものだった。
– this:a sensation of freedomを指します。
– for:このforも接続詞です。
He had studied in the Irish college in Rome and he had taught me to pronounce Latin properly. 彼はローマのアイルランド大学に学び、僕にはラテン語の発音を正確に教えてくれた。
– the Irish college in Rome:1628年に設立されたこの学校には、アイルランドの聖職者志望者のもっとも成績優秀な学生のみに入学が許されたのでした。つまりこの老神父が若い頃はいかに将来を嘱望されていたかということを示唆しています。そうであるのに、先に出てきたように、晩年は貧民街に住み、名もない教会に勤めていたということと対照されています。その理由が後に示されます。
He had told me stories about the catacombs and about Napoleon Bonaparte, and he had explained to me the meaning of the different ceremonies of the Mass and of the different vestments worn by the priest. 彼はカタコンベのこと、ナポレオン・ボナパルトのことを話してくれた、そしてさまざまなミサの儀式の意味についてや聖職者の着る式服の意味について説明してくれた。
– catacombs:地下埋葬所。ここではかつてローマでキリスト教徒が迫害を受け身を潜めた場所についてのこと。
– Napoleon Bonaparte:1798年に、ナポレオンによって the Irish college in Romeは一時閉鎖されたのでした。再開は1826年でした。
– the Mass, the different vestments:ローマカトリック教会ではミサがもっとも重要視されていること、式典によって聖職者の服装も異なることについて語っています。
Sometimes he had amused himself by putting difficult questions to me, asking me what one should do in certain circumstances or whether such and such sins were mortal or venial or only imperfections. ときどき僕に難しいことを訊いて遊んでいた。ある状況ではどうすべきか、こういう罪は重いか軽いかまたは単なる間違いかなどという質問だった。
– mortal or venial:カトリックの教義では、重罪の罪びとは懺悔し神から許しを得なければ地獄へ落ち、微罪であれば天国への道は開かれているという違いがあるのでした。
His questions showed me how complex and mysterious were certain institutions of the Church which I had always regarded as the simplest acts. 彼の質問は僕が単純な決まりと見なしていた教会のある種の制度がいかに複雑で神秘的なものかを教えてくれた。 The duties of the priest towards the Eucharist and towards the secrecy of the confessional seemed so grave to me that I wondered how anybody had ever found in himself the courage to undertake them; and I was not surprised when he told me that the fathers of the Church had written books as thick as the Post Office Directory and as closely printed as the law notices in the newspaper, elucidating all these intricate questions. 聖餐や告解の秘密に対する聖職者の義務はとても厳粛なものであり、それらを引き受ける勇気をどうやって見いだすのか不思議だった。だから教会の神父がすべてのそれらの難解な問題を解くための、郵便局の分厚い住所録のようなあるいは新聞に記載されている訴訟告知のような文字のびっしりと詰まったような本を書いたのだと教えてくれたときも驚かなかった。
– Eucharist:聖餐。キリストの血と肉として、ワインとパンを授けられるミサのこと。
– confessional:告解、懺悔。
– grave:重大な、謹厳な、厳粛な。
– elucidating:elucidateの現在分詞。説明する、はっきりさせる。
– intricate:複雑な、難解な。
Often when I thought of this I could make no answer or only a very foolish and halting one upon which he used to smile and nod his head twice or thrice. そう思うと、質問されても答えられなかったり、おろかなよく分からない答しかできなかったりしたものだったが、彼は笑って二、三度うなずいていたものだった。
– though of this:聖職者の義務の厳粛なことや、それを引き受けるという勇気についての思い。
– halting:もたつく、不完全な。
– one:answerの意味。
– upon which:答えられなかったり、もたついた答えに対して・・・。
– thrice:三度、三倍。
Sometimes he used to put me through the responses of the Mass which he had made me learn by heart; and, as I pattered, he used to smile pensively and nod his head, now and then pushing huge pinches of snuff up each nostril alternately. ときどき私に暗記させたミサのことばや歌についての話をさせ、私が覚えている通りに早口に唱えると彼は納得したように微笑み頷いた。 そしてしばしば嗅ぎタバコをたっぷり摘まんで両方の鼻へ順番に押し込んでいた。 When he smiled he used to uncover his big discoloured teeth and let his tongue lie upon his lower lip - a habit which had made me feel uneasy in the beginning of our acquaintance before I knew him well. 彼は笑うときに大きな色の変わった歯をむき出しにして、舌を下唇に乗せていた。彼のことをよく知る前、出会ったばかりの頃はその様子を見ることはなんだか気持ち悪かった。
– feel uneasy:不安を感じる。
As I walked along in the sun I remembered old Cotter's words and tried to remember what had happened afterwards in the dream. 陽射しの下を歩きながらコッターさんのことばを思いだし、夢の中でのその後の出来事を思い出そうとした。 I remembered that I had noticed long velvet curtains and a swinging lamp of antique fashion. 長いベルベットのカーテンと揺れている古めかしいランプに気づいたということを思い出した。 I felt that I had been very far away, in some land where the customs were strange - in Persia, I thought.... But I could not remember the end of the dream. とても遠く、習慣が違う国、ペルシャのようなところにいるかのように感じた。しかし夢の結末は覚えていなかった。
– Persia:19世紀においてはヨーロッパからはペルシャとは富に溢れた異国情緒たっぷりの国と連想されていたので、遠くにいることの象徴として、ペルシャのようなという表現になっています。
まとめ
少年が老神父の寵愛すべき教え子であった様子が描かれていました。
次回では、亡くなった老神父と少年の対面の場面、そして老神父の姉妹から語られる過去を読んでいきたいと思います。